3.歳末の寒雲

 この街にも寒い冬が来た。冬になると街も雪化粧で真っ白に染まる。去年は連日の吹雪で辺り一面歩けないほど積もったこともあったが、今年はそこまで酷くはならないと天気予報が教えてくれる。週明けの月曜日、私は出勤早々、少し積もって滑りやすくなった道路の除雪作業をしていた。ずっと中腰で作業していたので腰が痛く、田舎にいるおばあちゃんのように腰をトントンと叩き何とか痛みを誤魔化す。こんな作業を続けていたらそのうちぎっくり腰にでもなりそうなので店長に直談判でもしてやろうか、そんなことを考えていると後ろから知った声で話しかけられる。
「あれ、今日は雪かきしてんスね。こんな寒いのに」
「あ、いらっしゃいませ」
 振り向いた先にはグレーのコートを身にまとい、黒のリュックを背負ったお兄さんがいたのだ。もしかしてさっき腰を叩いてたのを見られていた? 途端に恥ずかしくなり、慌ててしゃんと背筋を伸ばす。
「そんな急に立つと腰傷めるから気をつけな?」
「……気をつけます。ところで今日は珍しいですね」
「そう? 今日は高校ン時の友達と会う約束してんだ」
「そうなんですね、雪積もってきてますから足元に気を付けてください」
「あ~そうだよなぁ、俺相性悪いから気をつけるわ」
「相性? ですか?」
「ン、俺の個性、帯電――電気なの」

 お兄さんは「ほら」と言い、人差し指と親指でハートを作ってから電流を流して見せた。それを見せるためにわざわざハートにするなんてやっぱりチャラい人なんだなぁと思ったが、またお兄さんのことを知れて嬉しかった。雪ですっかり冷たくなった手を擦って空を見上げる。どんよりと暗い空はまだまだこれから雪を降らせるぞと宣言しているような曇り具合で、またこの作業をしなければいけないのかと辟易する。
「だったら早く春になって欲しいですね」
「まぁね。冬は嫌いじゃねぇけど、出来れば暖かいほうが好きだなぁ」
「本当ですね、早く春が来てほしいです」
「もしかして暖かいほうが好き?」

 その問いの意図は分からなかった。でも私は冬が嫌いな訳じゃない、ただ早く雪が溶けて春になって欲しいだけなのだ。勿論コタツに入って食べる蜜柑も、アイスも大好きだし、冬になると一緒に住んでいる猫がピッタリと身体を寄せて来てくれるので、今の季節も大好きな部類にはいる。でもそれ以上に春が好きなのだ。
 私は少しいたずらっ子みたいな顔でお兄さんに問いかける。私は春が好きです、早く春になって欲しいです。なんでだと思いますか? と。その質問にお兄さんは腕を組み、若干眉間に皺を寄せて考える。
「えぇ……なんで、なんでだろ?」
「じゃあヒントです、雪が溶けたら何になると思います?」
「水になるんじゃない?」
「ふふ、違います。春になるんですよ? 春になったらね、桜の塩パンの季節になるんです」
「ふーん……って、あはははは! あんた頭の中ほんとうにパンのことばっかだな」
 私の答えにお兄さんはお腹を抱えて笑っている。そりゃあパンが好きだからこの店で働いているんですよ、季節のパンを楽しみにしたって良いでしょうに。普段おすすめのパンの話題しか提供しなかったことも悪いのだろうが、お兄さんの中で完全に私という人間がパンのことしか考えていない人だという認識になってしまった。
「でも美味しいんですよ?」

 お兄さんはまだ食べたことがないから分からないでしょうが、本当に美味しいんですよとむくれっ面で抗議する私に、お兄さんは酷く笑ってから頭を撫でる。よーしよーしと小さい子どもを宥めるかのように撫でられる頭に不思議と不快感はない。
 暫く撫でられて大人しくなった私にお兄さんは手を止めて「じゃあまた買いに行きますね、俺」と言葉を落とした。
「はい、お待ちしております」
「じゃあそろそろ行かないと間に合わないんで」
「あっ、引き留めてしまってすみません」
「全然! 会えてよかった。あ、これ俺の使いかけだけど良かったら!」
 お兄さんは私に会えて良かったと言い、思いついたようにポケットから温かいカイロを放り投げる。私がソレを両手でキャッチしたのを確認したお兄さんは満足した表情でその場を後にした。まさか水曜日じゃない日に会えるなんて思っていなかったので、内心めちゃくちゃ嬉しい。ここが外じゃなかったら小躍りしたい気分だった。なんとかその気持ちを抑えてから、お兄さんに貰ったカイロを大切に握りしめてポケットに仕舞う。

 あんなに嫌だと思っていた除雪作業も、水曜までお兄さんに会えない憂鬱な気持ちも吹っ飛んでしまった。今週は二回も会えるのだ、水曜日まであと二日。私は軽い足取りで店へと戻った。

© 2016 両手で掴んで