1.康一くんが不良になったらしい

 康一くんが不良になった、らしい。
登校してきた康一くんの姉・綾那が、私の机に来てそれだけを伝えて自席へと向かった。

 春の柔らかな陽光が差し込む教室には、まだ微かにチョークの粉の匂いが残っていて、穏やかな一日の始まりを告げていたのに。そんな穏やかな朝の空気を切り裂くように、その言葉は投げかけられたのだ。

 突拍子もない、朝一番に投げつけられたその言葉。私の脳は処理しきれずにフリーズしていた。 ちょっとした短編小説のプロローグなら拍手を送るところだけれど、これは現実だ。
けれど、私の知る語彙辞典から<不良>という二文字が綺麗に消し飛んでいる。反芻すればするほどゲシュタルト崩壊を起こしそうだ。不良。……え、不良って、何だっけ。

 高校生になった康一くんの学ラン姿を思い出してみる。未来の背丈を予約しているような、袖口から指先しか見えないような真新しい学ランに着させられている状態だったはず。まだまだ幼さが残っていて、可愛かった。とても可愛かった。初々しさの極致と言わんばかりで保護欲が掻き立てられるし、先輩たちにとても可愛がられること間違いなしの容姿だった。
男女問わずモテて、学校のアイドルにだってなってしまうかもしれない破壊級だったはず。小学生レベルの恋愛観を持つ馬鹿な男子が、虐めるかもしれない。私が守らなければ、そう本気で心配するほど。

 それなのに、康一くんと不良という物騒な言葉が結びつかない。え、なに、不良ってどういうこと?

 もうすぐSHRの予鈴が鳴りそうな時間だったけど、綾那の言葉の真意を確認しなきゃいけない。二つ前の席に座っている綾那目掛けて飛んでいき、彼女の肩を揺らして問い詰める。
「ねぇ、さっきの何かしら。不良って。もしかして不良って、あの不良?」
「不良って言葉に他の意味があるなら、私にも教えてほしいわ。……あんたの康一じゃあないけど、そうみたい。さっき母さんから連絡が来たんだけど、大柄の派手なリーゼント頭の男子と仲良く登校していたらしくって」
「うそ、康一くんが……?」
「花子? ちょっと聞いてる?」

 不良と笑って登校してたなんて、信じられない。康一くんが私のことを「さん」づけで呼んだときのような、奈落に突き落とされたような絶望が再来した。当時は、綾那からその話を聞いて「お願いだから今まで通り呼んで欲しい」と泣きついたんだっけ。自分の腰にしがみ付く私に少し眉をさげつつも、頬をほんのりと赤く染めて「花子姉ちゃん」と呼びなおしてくれた康一くんはまさに天使だった。脳内カメラでコンマ撮影したくらい可愛かったのに。そんな優しくて可愛い康一くんが、本当に、不良に?

 私の脳内は一瞬にして「康一くんが不良になった」に支配されていた。今日の数学は出席番号で当てられるから予習が必要とか。そんな小さな悩みなんてすっかり抜け落ちていた。綾那が何か言っているみたいだったけど、もう彼女の言葉なんて耳に入ってこない。「不良」になった事実を一刻も早く確かめに行かなければいけない。この目で確かめて、そしてもし本当だった場合は、そのときは、この手で……。

「綾那、私に任せて!」
「花子? 何が任せてなの? あっ、待ちなさいってば!」

 予鈴が鳴り始めたちょうどそのタイミングで綾那に「康一くんは任せて」とピースサインを出し、担任と入れ替わりで教室からダッシュした。後ろで担任と綾那が何か言っていたけど、康一くんという名の栄養素を摂取するという、私の生命維持に関わる重大な事件だから何よりも最優先させたかった。
 
 ごめんね綾那。
また明日ちゃんと聞くからと心の中で謝りつつ、康一くんのいる学校へと全速力で走る。

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